2009年06月12日

県議会6月定例会が開会

いよいよ佐竹県政の始動となる6月定例会が開会。知事説明を聞く。

かつて、小生は寺田知事の議会演説や質問への答弁について「言葉の過剰、哲学の貧困」と批評したことがある。そして、今回の佐竹新知事にも概ね同様の印象を受けた。今月19日には一般質問を行うが、この印象が間違っていることを願う。
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2009年06月06日

10周年を迎えた秋田県立大

6月5日、秋田県立大学の10周年記念式典と祝賀会が行われ、記念講演のため来秋した明石康氏と久しぶりに顔を合わせる。また、須田精一氏(由利工業社長)からは、今の不況対策について独創的な提案を聞く。

ようやく地域に根付いてきた秋田県立大学であるが、少子化が進む中で前途は決して明るいものではない。いずれ、県財政上の大きな問題として浮上してくる恐れがある。もちろん、それは国際教養大学にも言える。将来的に、両大学の整理・統合・再編成は避けられないだろう。
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2009年05月29日

同人誌「稜線」の思い出

1959年、早稲田大学第一文学の学生たちが「稜線」という同人誌を発刊した。佐佐木幸綱君(現代歌人協会理事長)らが中心となり、小生も文芸批評の面から参加。ご多分にもれず、3号雑誌で終わってしまったが、そのグループは今でも時折集まりを開く。

今年はその集まりが鎌倉で開かれた。当時の同人も皆70歳、古稀を迎えた者も多い。これが最後の集まりと、とても和やかな雰囲気であった。

ちなみに小生の文芸批評は「北村透谷と樋口一葉の比較研究」というテーマであったが、発表する前に雑誌が廃刊となり未発表に終わった。何度かの転居を重ねるうちに原稿は失われ、「幻の論文」と同人たちには言われている。

そして、この同人の顧問をされたのが、国文科の故・暉峻康隆(てるおかやすたか)教授であった。以前も紹介したように、暉峻教授は小生が立ち上げた「日本ほろよい学会」の名誉会長を務められ、俳人・桐雨として活躍された。その桐雨先生のユニークな句を思い出し、同人の時代を懐かしむ。

 「もがれても手をつないでさくらんぼ」

 「走り梅雨晩酌少しあたためん」

 「五月場所通しのそら豆みずみずし」


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2009年04月27日

四半世紀前の選挙戦

地元紙・週刊アキタが、これまで同紙に登場した政治家たちの写真を使い、当時の政治状況などを振り返る企画特集を連載。その中で、連続3回(4月16日号〜)にわたって小生の写真と記事が載る。

1983年6月に行われた参院選の出陣式の写真は、私がまだ43歳の頃のもの。当時の挑戦を思い出し、懐かしさを覚える。後援会長の村山多七郎さん(故人)の白髪をなびかせながら演説する姿も記録されていた。

また、1990年5月に行われた秋田市長選の当選の瞬間、感極まった仲間たちに揉みくちゃにされている1枚は、これまでどの新聞にも掲載されたことのない珍しいもの。週刊アキタのこれら写真は、戦後秋田の政治史を語る上での貴重な局面を担保されたことと思う。

特集写真に添えられた小畑伸一社長のその時々の取材メモから引用した証言も、貴重なドキュメントである。大新聞では成し得ない市民の声の集積と言えよう。
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2009年04月25日

文化座の舞台を観る

先日、文化座(佐々木愛代表)が秋田市文化会館で「二人の老女の伝説」という芝居を行った。アラスカ州のある村が食糧難に見舞われ、2人の老女が村人たちに捨てられるという状況設定。この2人の老女があらゆる知恵と力を駆使して生き延び、逆に彼女たちを追放した村人たちを助けるというストーリーである。

かつては、どこの民族にも「姥捨て」の歴史があったようである。そして、現代の日本では「後期高齢者医療」の面でお年寄りの切捨てが進行しているとも見られる。医療・福祉の面で「姥捨て」を許してはならないと痛感した。
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2009年04月24日

桐雨忘に思う

4月2日は早稲田大学の恩師、暉峻康隆(てるおかやすたか)先生の桐雨忘(俳号・桐雨にちなむ)であった。

暉峻先生は平成13年4月2日、93歳で逝去。有名な江戸文学の権威であり、芭蕉や西鶴の研究者としては第一人者。私が始めた「日本ほろよい学会」の初代名誉会長として秋田を数回訪れ、川反で日本酒に大いに親しんだ。

平成9年、暉峻先生は東京で行った小生の著書「スタンディング・オフ・ポリティクス」出版記念パーティに出席され、「石川君は秋田市長として公立美術工芸短大を創設するなど、相当な成果を上げたのだから、次は県知事を目指しなさい」などの発言もされ、政治的・社会的な意識も鋭い名物教授だった。

その桐雨忘によく来ていた佐々木久子さん(雑誌「酒」編集長、随筆家)も昨年逝く。

今年は佐佐木幸綱氏、黒田杏子氏が所用のため欠席したものの、神保町の居酒屋を借り切って常連が集まり、賑やかな桐雨忘であった。

    「杯の中に花あり涙あり」
               -酒仙学者・桐雨句集より-
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2009年04月19日

県知事選挙を終えて

当落はともかくとして、私たちの推した川口博氏は善戦・健闘したと言えよう。私も秋田市を中心に、全県の郵政関係者を回って運動を展開した。その中で川口氏に期待を寄せる声が非常に多いことを実感し、もしかしたら逆転できるのではないかという思いも強くしたのだが、自民・社民・連合という世にも奇妙な野合連合には及ばなかった。しかし、この選挙は秋田の政治史上において特筆されるものであった。

市町村長選は予想通りの結果、秋田市の政治の人材難は目を覆うばかりと言える。8年前の市長選を戦って敗れた2人を中心とした構図では、市民の政治的選択の余地は余りに少ない。投票率も6割台と、市民の関心がまったく高まっていなかったことをうかがわせる。今後の市政に十分な注視が必要である。新市長のマニフェストを見守りたい。
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2009年03月25日

秋田県知事選への対応

国民新党秋田県本部は、できれば秋田県知事選に独自候補を擁立したいと考え、昨年から人材の発掘などの作業に取り組んできた。読売新聞の特別編集員を務める橋本五郎氏もそのひとりであったが、最終的に本人が出馬を断念したため我々の望みは叶わなかった。結局、年が明けてからは既に出馬を表明してる方を対象とし、それぞれのマニフェストなどを参考に支援を検討することとし、共産党公認の方を除く候補予定者の陣営と接触した結果、国民新党秋田県本部としては、以下の要望を行って川口博氏の「支持」を決定した。

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川口博知事候補に対する政治、政策的要望

1.寺田県政を総括し、県民、議会の声を充分尊重する県政を進めること。

1.特定の団体、個人に影響されない県政を実現すること。

1.公約したマニフェストは2期8年で実現し、原則としてそれ以上は延長しないこと。

1.秋田市の中央街区再開発、南ヶ丘地区開発事業は大幅な見直しを含め慎重に進めること。

平成21年3月19日      

国民新党秋田県本部  
 代表 石川練治郎 


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なお、川口博氏のことは寺田知事も推すとの報道もあったが、私たちの決定とは何ら関係はない。また、川口氏に求めた県政総括についても、現状を踏まえて厳しく行っていただくというのが前提と考える。

我が党の支持者の皆さん、そして県民に皆さんには上記要望事項に盛られた内容を検討の上、川口氏を支持する真意を理解していただきたいと思う。我々は今後、要望書に示した立場から川口氏の勝利に向けて全力を尽くし、今回の選挙戦を戦い抜く覚悟である。我が党を支持してくださる県民の皆さんに対しても、川口氏支援の輪の拡大を心よりお願いしたい。
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2009年03月24日

3月議会で意見書提出へ

3月議会では、今国会で問題となっている「かんぽの宿」問題を徹底して究明すべきとする意見書を私が起案・提出し、全会派の賛同を得て決議された。以下がその意見書である。

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意見書

国会の場で「かんぽの宿」問題解決を求める意見書


日本郵政による「かんぽの宿」の売却について疑惑が深まっている。総務大臣すら「恣意的」とまで発言しており、日本郵政の入札が公正ではなかった疑いが払拭できない。

「かんぽの宿」は多くの国民が加入している簡易保険によって、その土地建物に対し約2400億円も投ぜられたものであり、それら70施設外が、わずか109億円で売却されようとした経緯は、厳格に解明されなければならない。

よって、国においては、国民に情報が正しく伝わるよう、国会においてしかるべくその場を設けて、早急にこの問題解決を図るよう、強く要望する。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

   
平成21年3月10日  


秋田県議会議長 大野忠右ェ門   

衆議院議長 河野洋平様
参議院議長 江田五月様
内閣総理大臣 麻生太郎様
内務大臣 鳩山邦夫様
財務大臣 与謝野馨様

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このような意見書が地方議会で採決された例は秋田県だけで、国民新党本部も喜んでいるとのこと。これも県議会に国民新党籍を持つ議員がいればこその結果である。

今後とも国民の財産である郵政関連の施設が不当な価格で大資本に払い下げられないよう一層の監視が必要とされる。
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2009年03月18日

寺田県政最後の県議会

県議会は今月10日に約1ヶ月の議事を終えた。最終日に地域振興局を3局に統合する条例案は否決され、予算案も第3子対策が増額修正されるなど、寺田知事にとって最後の議会は散々な結末であった(もちろん、予想されていたことではある)。

前回の記事で指摘した通り、新知事に任せるべき21年度事業をまるで自分が執行するかのような予算を組んだところに、そもそも無理があったのだ。前鳥取県知事の片山善博氏が言ったように、辞める首長が本格予算を組むことは「マナーとエチケットに欠ける」。寺田知事が行ったことは正に、このマナーとエチケットを軽んじたものであったと思う。

私は3月6日、予算総括委員会の審議で▽成瀬ダムをストップさせる会が監査請求を行ったという事態を受け、国直轄事業における県負担の問題▽学力テスト結果に対する県教委、寺田知事の対応▽秋田中央道(地下自動車専用道)の工事で発生した地盤沈下の補償問題を取り上げ、寺田知事の政治手法を厳しく追及した。また、同10日の最終日は再び成瀬ダムの問題を取り上げ、国直轄事業全般を点検し、不要不急の事業については中止や廃止を含めて国と交渉すべきと提言した。

寺田県政では成し得なかったが、新知事にもこの点を厳しく求めていくことを約束したい。

なお、西松建設の事件に関連して秋田県庁に東京地検が入ったことは、非常に由々しき問題である。これは小沢一郎氏のみならず、寺田知事を巻き込むものとなるのではないかと危惧している。ちなみに、西松建設は秋田県においてこの数年でいくつかの事業を受注している。この内容については詳細が分かり次第、独自に分析して問題点を追及していく。
posted by 石川錬治郎 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする