2009年04月27日

四半世紀前の選挙戦

地元紙・週刊アキタが、これまで同紙に登場した政治家たちの写真を使い、当時の政治状況などを振り返る企画特集を連載。その中で、連続3回(4月16日号〜)にわたって小生の写真と記事が載る。

1983年6月に行われた参院選の出陣式の写真は、私がまだ43歳の頃のもの。当時の挑戦を思い出し、懐かしさを覚える。後援会長の村山多七郎さん(故人)の白髪をなびかせながら演説する姿も記録されていた。

また、1990年5月に行われた秋田市長選の当選の瞬間、感極まった仲間たちに揉みくちゃにされている1枚は、これまでどの新聞にも掲載されたことのない珍しいもの。週刊アキタのこれら写真は、戦後秋田の政治史を語る上での貴重な局面を担保されたことと思う。

特集写真に添えられた小畑伸一社長のその時々の取材メモから引用した証言も、貴重なドキュメントである。大新聞では成し得ない市民の声の集積と言えよう。
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2009年04月25日

文化座の舞台を観る

先日、文化座(佐々木愛代表)が秋田市文化会館で「二人の老女の伝説」という芝居を行った。アラスカ州のある村が食糧難に見舞われ、2人の老女が村人たちに捨てられるという状況設定。この2人の老女があらゆる知恵と力を駆使して生き延び、逆に彼女たちを追放した村人たちを助けるというストーリーである。

かつては、どこの民族にも「姥捨て」の歴史があったようである。そして、現代の日本では「後期高齢者医療」の面でお年寄りの切捨てが進行しているとも見られる。医療・福祉の面で「姥捨て」を許してはならないと痛感した。
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2009年04月24日

桐雨忘に思う

4月2日は早稲田大学の恩師、暉峻康隆(てるおかやすたか)先生の桐雨忘(俳号・桐雨にちなむ)であった。

暉峻先生は平成13年4月2日、93歳で逝去。有名な江戸文学の権威であり、芭蕉や西鶴の研究者としては第一人者。私が始めた「日本ほろよい学会」の初代名誉会長として秋田を数回訪れ、川反で日本酒に大いに親しんだ。

平成9年、暉峻先生は東京で行った小生の著書「スタンディング・オフ・ポリティクス」出版記念パーティに出席され、「石川君は秋田市長として公立美術工芸短大を創設するなど、相当な成果を上げたのだから、次は県知事を目指しなさい」などの発言もされ、政治的・社会的な意識も鋭い名物教授だった。

その桐雨忘によく来ていた佐々木久子さん(雑誌「酒」編集長、随筆家)も昨年逝く。

今年は佐佐木幸綱氏、黒田杏子氏が所用のため欠席したものの、神保町の居酒屋を借り切って常連が集まり、賑やかな桐雨忘であった。

    「杯の中に花あり涙あり」
               -酒仙学者・桐雨句集より-
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2009年04月19日

県知事選挙を終えて

当落はともかくとして、私たちの推した川口博氏は善戦・健闘したと言えよう。私も秋田市を中心に、全県の郵政関係者を回って運動を展開した。その中で川口氏に期待を寄せる声が非常に多いことを実感し、もしかしたら逆転できるのではないかという思いも強くしたのだが、自民・社民・連合という世にも奇妙な野合連合には及ばなかった。しかし、この選挙は秋田の政治史上において特筆されるものであった。

市町村長選は予想通りの結果、秋田市の政治の人材難は目を覆うばかりと言える。8年前の市長選を戦って敗れた2人を中心とした構図では、市民の政治的選択の余地は余りに少ない。投票率も6割台と、市民の関心がまったく高まっていなかったことをうかがわせる。今後の市政に十分な注視が必要である。新市長のマニフェストを見守りたい。

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※街頭で支持者と握手する川口氏。

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