2009年05月29日

同人誌「稜線」の思い出

1959年、早稲田大学第一文学の学生たちが「稜線」という同人誌を発刊した。佐佐木幸綱君(現代歌人協会理事長)らが中心となり、小生も文芸批評の面から参加。ご多分にもれず、3号雑誌で終わってしまったが、そのグループは今でも時折集まりを開く。

今年はその集まりが鎌倉で開かれた。当時の同人も皆70歳、古稀を迎えた者も多い。これが最後の集まりと、とても和やかな雰囲気であった。

ちなみに小生の文芸批評は「北村透谷と樋口一葉の比較研究」というテーマであったが、発表する前に雑誌が廃刊となり未発表に終わった。何度かの転居を重ねるうちに原稿は失われ、「幻の論文」と同人たちには言われている。

そして、この同人の顧問をされたのが、国文科の故・暉峻康隆(てるおかやすたか)教授であった。以前も紹介したように、暉峻教授は小生が立ち上げた「日本ほろよい学会」の名誉会長を務められ、俳人・桐雨として活躍された。その桐雨先生のユニークな句を思い出し、同人の時代を懐かしむ。

 「もがれても手をつないでさくらんぼ」

 「走り梅雨晩酌少しあたためん」

 「五月場所通しのそら豆みずみずし」


posted by 石川錬治郎 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする