2015年03月28日

「変える」ために「変わる」

4年前の県議会議員選挙、秋田市ではほぼ半数の有権者が投票を棄権しました。そして、2年前の県知事選挙では現職が無投票で再選されています。与党が過半数を占める県議会は有権者の声を代弁してきたのでしょうか。是々非々は貫かれてきたのでしょうか。故郷の将来について真摯に議論してきたのでしょうか。

誰が議員になっても同じという考え方のままでは変化は望めません。私たち有権者が変わらなければ、議会も変わらないのです。自分たちの未来は自らの責任で選択する。それが自治の基本です。秋田の明日をつくるために投票券という「道具」を放棄してはなりません。


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2010年11月14日

「ぼく、牧水!」

先日の牧水生誕125周年祭でパネラーを務めた伊藤一彦さんは、私と同じ早稲田大学第一文学部の出身。佐佐木幸綱先生の門下で、「心の花」の同人。現在は宮崎県立看護大学の教授である。その伊藤さんから先日、彼の教え子で俳優の堺雅人さん(やはり早稲田OB)との共著「ぼく、牧水!」を頂戴する。

NHKの大河ドラマ「篤姫」で、篤姫の夫・徳川家定(13代将軍)を好演した堺さんの牧水論は大変面白く、一晩で読了した。短歌に興味のない方にもお奨めしたい1冊である(発行・角川oneテーマ21/2010年刊/820円)。

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2010年11月11日

ヒューマンクラブの思い出

機関誌「原点」を発行するヒューマンクラブが先頃、40周年を迎えた。

参院出馬のため、私が秋田に戻ってきたのは1983年。以来、同クラブの会員であり、古参に属する。昔はよく「原点」に寄稿し、座談会にも出席した。今も思い出深いのはその座談会のひとつで、佐藤敬夫さん(当時は共に浪人中)と語り合ったことだろうか。大変に濃密な内容であったように思う。

当時の編集長・菅禮子さんは五城目の出身。同郷のよしみで私によく声をかけてくださった。その菅さんが原点の思い出をまとめ、「忘れ得ぬ人々」という本を出版された際は、秋田市長として秋田市の将来ビジョンを語った部分を掲載していただいた。

改めて読み直してみると、私もずいぶん意気盛んに市政を担当していたのかが分かり、懐かしさ一入であった。
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2010年11月10日

牧水生誕125年

先月下旬、若山牧水生誕125年祭に参加するため、宮崎県日向市へ。佐佐木幸綱、小嶋ゆかり、伊藤一彦の3氏によるディスカッションが面白かった。

牧水の旅の歌には、よく草木の名前が出てくる。牧水はずいぶん努力をして、草花や木の種類を覚えたのであろう。

300人ほど集まった会場で私は「1首に4種類の鳥が登場する牧水の歌がある。これは大正6年4月、牧水が秋田市で詠んだものである。秋田市の千秋公園にはその歌碑が建っている」と紹介。大きな拍手を受ける。

ちなみにその歌は「ひわ、めじろ、山がら、ひばり鳴きしきり、桜は未だ開かざるなり」というもの。皆さんはこの歌が刻まれた歌碑をご覧になったことはあるだろうか。
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2010年10月15日

衆院議長公邸にて

先日、横路孝弘衆院議長ら学生時代の仲間たちが東京に集った。公邸の広間では横路議長を励ます会を兼ねた集会も開かれる。参加したのは60年安保世代を中心に50人ほど。久しぶりに見る顔ありで、それぞれ近況を報告し合う。出席者のひとりは前参院議長の江田五月氏。70歳を超えて地方議員を務めているのは私だけで、皆は感心するやら、驚くやら。「これからは高齢者の時代。60歳、70歳はまだ洟垂れ小僧だぞ」と妙な激励も受け、いささか面映い再会であった。

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2010年08月18日

日本最後の被爆地・土崎

ポートタワー・セリオンで土崎被爆市民会議が開いた慰霊祭に出席。高橋茂会長によると、この日は東京に戦時中に米国の空襲を受けた全国各地から関係者が集まり、一般国民の被爆者でも謝罪と補償を国に求めるという運動体を結成したとのこと。戦争とは、戦地に赴いた軍人だけの問題ではなく、文字通り「銃後」の一般国民をも巻き込んだものだったのである。

軍関係者には軍人恩給や遺族年金などの形で、国から補償金が出ている。しかし、一般国民には国から何の援助もない。遅ればせながらであるが、このような動きは歓迎すべきと思う。なお、慰霊祭での秋田市長、市議会議長(県知事と県議会議長は欠席)の挨拶であるが、用意された原稿を棒読みしているように聞こえた。せめて、このような場では自らの言葉で語っていただきたいもの。

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2010年07月20日

祭りの情景

土崎の祭りが始まる。相染青壮年会の佐藤清一さんを訪ねる途中、山車をいくつか見る。気のせいか、最近の祭りの中ではどこか淋しげな様子。宵山車のせいだろうか。例年は雨に見舞われることの多い祭り。今年は雨が降らないだけでも、良しとすべきか。
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2010年07月18日

娘、帰る

東京で仕事をしている長女が帰省。会社のインターネット部門で営業を担当、「年商1億円」のノルマと聞いて驚く。全世界が相手なので、仕事は深夜に及ぶとか。私から見れば明らかに労働法違反ではないかと思うところだが、本人はそれほど違和感はなさそう。我が娘ながら、違う世界に住む人間のようにも見える。そこで帰京の際、江戸文学研究の大家・てるおかやすたか先生の随筆集1冊を書棚から取り出し、読んでみるようにと渡す。本人の「読んでみる」という素直な返事に安堵する。
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2010年07月15日

スタンド・オフ

20年来所属している南通地区商店街の組織「15日会」の例会に参加。話題はもっぱら参院選の結果。民主党の候補者を支援した私に批判が集中、防戦一方であった。選挙の現場にいると、どうしても全体が見えにくくなるもの。少なくとも秋田市は接戦と見ていたが、23000票もの大差をつけられた。ラグビー用語でいうところの「スタンド・オフ」的な視点が、選挙にも必要であることを痛感する。
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2010年06月23日

党首討論会に思う

22日、テレビで9党首の討論会を見た。日本記者クラブの幹事が代表質問したが、読売新聞の橋本五郎氏(三種町出身、秋田高校卒。私とは旧知の間柄)の質問がいちばん鋭かったように思う。

もっとも重要な論点は、やはり菅首相が提示した消費税論議について。税率10パーセントという突然の提案に驚いたのは、私だけではないだろう。(※消費税率のアップに反対する理由は、鈴木候補に対しても強く申し入れる)。

いずれにしても、各党党首の人物や見識がよく分かる討論会であった。もちろん、我が党の代表・亀井静香氏が群を抜いていたことは言うまでもない。
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2010年05月17日

川俣さんの出版記念会に出席

先日、横手市で川俣健二郎さん(元衆議院議員)が政治を中心とした活動録「人間山脈」を出版、その祝いの席におよそ250人の出席があった。岳父・清音氏の時代から川俣家と縁のある小坂町出身の川口博衆院議員が、発起人を代表して挨拶。参議院議長の江田五月さんとも久しぶりに会う。

川俣さん自身「私は人間関係の中で、政治活動をやってきた」と言うだけに、モンゴル大使夫妻を始め、実に多彩な顔ぶれであった(正に右から左まで勢揃い。私のテーブルには川俣さんが所属していた社会党の仇敵、自民党の金田勝年衆院議員も座り、昨年の衆院選以来の出会いとなる)。

案内の中で、川俣さんは冗談交じりに「この会は私の生前葬だから必ず出席して欲しい」としていたため、おそらく各方面の名士らが駆けつけたのであろう。ただ、私が見た限りでは、長年にわたって川俣さんの政治活動をサポートしてきた熱烈なファンの姿がやや少なかったように思え、いささか寂しい気持ちにもなった。
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2010年01月06日

秋田の前途を憂う

昨年はブログが途切れがちとなり、皆さんには失礼をいたしました。今年はできる限り定期的に我が党の情報を提供すると共に、私の活動についてお伝えしていきたいと思っておりますので、何とぞよろしくお付き合いください。

さて、年頭の各新聞社の社説を読んだ中で、もっとも印象に残ったのは地元紙・秋田魁新報のそれでした。佐竹県政の方向性を示す「県民元気戦略」の素案(昨年12月に提案されたもの)を取り上げ、県民や県を元気にするものではないと分析した内容です。

秋田県議会においても、本会議や委員会などで本来は与党である自民党や社民党の会派から鋭い批判が飛び出すなど、知事がしばしば立ち往生する場面がございました。私は発言の機会を与えられませんでしたが、やはり県庁の役人の「作文」以上のものではなかったと言わざるを得ません。

このような戦略を平気で提示する方を知事にいただく我が秋田県の前途は、決して明るいものではないとの思いを強くした次第です。そして、議員として県民の願いを県政につなぐ取り組みは、ますます重要性を増しております。

今年はお屠蘇気分に浸る間もなく、早々から皆さんの声を聞く活動を開始いたしました。皆さんの県政に対する忌憚のないご意見、ご提案を是非とも国民新党秋田県支部と石川錬治郎にお寄せください。
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2009年11月19日

政治と哲学の貧困

ヒューマンクラブ(西木正明会長)の例会で、山本久博氏(モードスタジオQ代表)が「そして秋田は風の王国となった」と題して講演。山本氏が注目している風力発電について、環境との調和が課題と私は考える。しかし、風力エネルギー関連工場を秋田に設置して、雇用を拡大する方策などには気宇壮大な視点が感じられ、楽しい時間を過ごすことができた。

西木氏に会うのは久しぶりであったが、ふたつの小説が中国とアメリカで映画化される見通しであるなど、相変わらずエネルギッシュに動き回っているようであった。また、同じ会場で自殺問題に取り組むNPO法人蜘蛛の糸の代表・佐藤久男氏とも会う。自殺の原因は結局、経済と政治の問題に帰着するとのこと。政治と哲学の貧困という課題の解決を急がなければならない―との思いを強くした。


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2009年05月29日

同人誌「稜線」の思い出

1959年、早稲田大学第一文学の学生たちが「稜線」という同人誌を発刊した。佐佐木幸綱君(現代歌人協会理事長)らが中心となり、小生も文芸批評の面から参加。ご多分にもれず、3号雑誌で終わってしまったが、そのグループは今でも時折集まりを開く。

今年はその集まりが鎌倉で開かれた。当時の同人も皆70歳、古稀を迎えた者も多い。これが最後の集まりと、とても和やかな雰囲気であった。

ちなみに小生の文芸批評は「北村透谷と樋口一葉の比較研究」というテーマであったが、発表する前に雑誌が廃刊となり未発表に終わった。何度かの転居を重ねるうちに原稿は失われ、「幻の論文」と同人たちには言われている。

そして、この同人の顧問をされたのが、国文科の故・暉峻康隆(てるおかやすたか)教授であった。以前も紹介したように、暉峻教授は小生が立ち上げた「日本ほろよい学会」の名誉会長を務められ、俳人・桐雨として活躍された。その桐雨先生のユニークな句を思い出し、同人の時代を懐かしむ。

 「もがれても手をつないでさくらんぼ」

 「走り梅雨晩酌少しあたためん」

 「五月場所通しのそら豆みずみずし」


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2009年04月25日

文化座の舞台を観る

先日、文化座(佐々木愛代表)が秋田市文化会館で「二人の老女の伝説」という芝居を行った。アラスカ州のある村が食糧難に見舞われ、2人の老女が村人たちに捨てられるという状況設定。この2人の老女があらゆる知恵と力を駆使して生き延び、逆に彼女たちを追放した村人たちを助けるというストーリーである。

かつては、どこの民族にも「姥捨て」の歴史があったようである。そして、現代の日本では「後期高齢者医療」の面でお年寄りの切捨てが進行しているとも見られる。医療・福祉の面で「姥捨て」を許してはならないと痛感した。
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2009年04月24日

桐雨忘に思う

4月2日は早稲田大学の恩師、暉峻康隆(てるおかやすたか)先生の桐雨忘(俳号・桐雨にちなむ)であった。

暉峻先生は平成13年4月2日、93歳で逝去。有名な江戸文学の権威であり、芭蕉や西鶴の研究者としては第一人者。私が始めた「日本ほろよい学会」の初代名誉会長として秋田を数回訪れ、川反で日本酒に大いに親しんだ。

平成9年、暉峻先生は東京で行った小生の著書「スタンディング・オフ・ポリティクス」出版記念パーティに出席され、「石川君は秋田市長として公立美術工芸短大を創設するなど、相当な成果を上げたのだから、次は県知事を目指しなさい」などの発言もされ、政治的・社会的な意識も鋭い名物教授だった。

その桐雨忘によく来ていた佐々木久子さん(雑誌「酒」編集長、随筆家)も昨年逝く。

今年は佐佐木幸綱氏、黒田杏子氏が所用のため欠席したものの、神保町の居酒屋を借り切って常連が集まり、賑やかな桐雨忘であった。

    「杯の中に花あり涙あり」
               -酒仙学者・桐雨句集より-
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